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少しは落ち着いたらしいセナを促し、さて。皆が向かったは、集落の奥向きの深いところに構えられたる、首長の館。さして装飾もなく、至って地味な作りであるのは、迎えるべき外来の客人というものを、想定していないが故のことだろうか。雪深い土地なればこその頑強な作りは、同時に防御にも優れているらしく、襲撃にあったとかいう形跡はパッと見には分からないほどだったが、
「裏から押し込まれた、か。」
野暮ったいくらいに厳ついばかりな柵に囲まれた敷地の中へと入れば、前庭から見通せる奥向きの惨状が、否応なく真っ先に目に入る。そのまま山頂まで連なる、鋭利に切り立った断崖を後背に負った、これほど難攻不落な作りの砦もなかろう筈が、その方向からの侵入者に真上から襲われて。庫裏や納所、貯蔵庫とそして。様々な古文書を収めた書庫であり、且つ、まさかの時に、勝手口から導いた集落の人々をそこへ退避させる“シェルター”を兼ねた天然の岩屋を、そりゃあ見事に突き崩されている。
「…ひどい。」
彼らの使命は、聖域を守ることともう一つ、ここに収められてあった古い文献に綴られた伝承や歴史をしっかと守り、次の世代へ伝えることだのに。そのための言わば何にも替えられない宝の詰まっていた場所をこうまで破壊されるなんて。
「いくら亡くなった人がいないと言ったって。」
アイデンティティーとまでの言い方は大仰かも知れないが、それでも。人それぞれの価値観での、その人ならではの宝をばかり、巧妙にも見抜いては攫ったり傷つけたりする、何とも残忍で辛辣、容赦ない あの連中のやり口が、巧妙すぎてどうにも気に食わない。
「何につけ、忌ま忌ましい連中だよな。」
最も大切な物を奪ったり壊したりしておきながら、その反面で…相手が一瞬にして絶望するほどの、徹底的で完膚無きまでの攻勢だって繰り出せようだけの力を持っていように、敢えてそうしないでおく小狡さ、意地の悪さよ。そうすることが、残された者たちをなお苦しめるのを知ってのことなら、これ以上の卑怯もなかろうに。ほんの一片ほどの、僅かな希望のようなものを施しのように残してゆく、そんな…いちいち癇に障るようなやり方を差し向けて来るやりようが、何ともこっちの神経を逆撫でする賊たちで。物理的な攻撃ではない“咒”という特殊な技能を駆使している彼らだからこそ、人の心理や何やに詳しく、それで練ることの出来る、最も効果的で残忍な算段や仕儀であるのだろうかと思えば。やはり“咒”に長けている自分たちにも、ああなる恐れがあるのかもと、得体の知れないうそ寒さを覚えもするが、
「…間違えなければ大丈夫だからね?」
立ち尽くすセナの小さな背中を、桜庭さんがぽんぽんと、優しく叩いてくれたから。小さな公主様もくっきりと頷き返し、そのまま玄関へと向かうことにして。頑丈なればこそ、ぎゅっと小さく見えなくもなかった外観からは少々意外なほどの、広々とした高さと奥行きを持ったエントランスの中央に立つは、数人の人々の姿。
「光の公主様でございますか?」
一同の先に立っていた葉柱が脇へと身を避け、蛭魔や桜庭もそれへと倣って一歩引き。そうすることでセナを居残らせ、彼がそうだと示す段取りもなめらかに。さすがは形式というものにも手慣れた対処が出来る皆様はともかく、
「あ…あの。」
こちら様には…残念ながら、相変わらずの腰の低さが抜けないほどに、まだまだ風格とか威容とかいうものには縁が無さ過ぎの“公主様”であり。それでも今回は、場合が場合だけに気構えも違ったか、
「はい。私は、先の王城キングダム国主、リヴィエ・ラピード三世が次子、
現国王、雷門太郎の弟。
そして、現世のこの大陸に招かれし、光の者、セナと申します。」
後半のご挨拶は、実をいうと桜庭さんと一緒にお勉強の合間に考えていたもの。こういうご挨拶をするような機会だって、この先にやって来ないとも限らないでしょうと、お遊び半分で考え始めたものだった筈が、セナの自信がどれほどのものなのかを示す面白い結果を明らかにしもした。というのが、蛭魔さんや葉柱さんは“光の公主”とまんま名乗れと仰有っていたのだが、それって何だか偉そうではないかしらと、セナにはまだまだ胸を張っては口に出来ない名前だからと、どうしても“公主”とまでは名乗れないままにいて。それで迎えた今日のご披露。何とかきちんと述べられてホッとした拍子、
『どのように名乗られても、私には唯一無二の主上に変わりはありません。』
どうしたらいいのでしょうかと困った末に尋ねた時に、進さんはそんな風に言っていたっけと思い出す。頂点に立つという意味合いのある“主”がつく名前に抵抗があったセナへ、どのように名乗られてもあなたは私には“主”なんですよと、それは真摯にも真っ直ぐな眸で言って下さった人。そして…どうしてだか。進さんほどの人からの一言だったのに、セナをおどおどと気後れさせず、自然と頑張ろうって思えた、優しい励ましでもあったから。
“…そうだよね。呼び方よりも今は。”
どんな状況になろうとも大切なもの、見逃さず見落とさない人だったから。セナがどれほどに逢いたがっていたのか、その傍らにいたいとありありと判る顔でいたにも関わらず。そんな主人の身を案じてのこと、彼ほどの強靭な意志を持つ人さえ操ることの出来るような、そんな輩の元へ連れさる訳にはいかないからと、こっちへは寄るなとセナの小さな肩を突き離して遠ざけた人だったから。騎士としての誇りさえ容赦なく切り捨ててセナを守った、そんな人だった進さんを、早く早く取り返さなきゃと、あらためて思う。そう、もう泣いたり怯えたりなんて、してはいられないと。
◇
出迎えにとエントランスまで運んで下さった方々の、一番先頭に立っておいでだった、まだ髪は漆黒なままながらも少しほどお年を召された初老の男性こそが、葉柱の父で、現在のこの隠れ里の当主にして、ここに住まわる聖域守護の民たちの惣領様。誠実そうな、そして背条のピンと立った、いかにも矍鑠かくしゃくとした、風格あふれる御仁であり。セナがまだずんと幼い身であることも…恐らくは葉柱が伝信などの頼りで伝えていたからか、前以てご存じであったらしく。さして動揺などなさらぬまま、一行を屋敷の中へと導いて下さった。外観以上に奥行きの深い屋形で、どうやら地下へも掘り沈めている部分があるらしく、
「村自体も、地上に出ている部分と同じほどの空間を地下にも持っております。」
この大陸のどんな国よりも長い歴史を、秘密裏にずっとずっと繋いで来た里だ。蛭魔が口にしたように、半端な広さや数で紡ぎ続けられるものではなく、大きさにせよ組織の有り様にせよ、どうかすると小さな国家クラスの規模を保ってもいるのだろうに、野心を抱かず、ただただ古くからの使命だけを守って今世まで。よくぞ破綻なく、隠れ続けていられたことと、改めて感嘆するばかりであり、
「とはいえ。この度はまんまと攻め入られてしまいましたが。」
彼ら一族の永きにわたる使命であったこと。一族の存在意義でもあった聖域の堅守の最終目的である“光の公主”の出現がようよう叶ったが末のこととして、全ての陽白の民の王でもあられる御方がわざわざお運びいただいたというのに、きちんとしたお出迎えも侭ならず、何とも痛々しい姿をお見せすることとなってしまいましたと、さも恐縮そうに言ってから。だが、
「皆様がこのように火急のお越しとなったのも、
この里が受けたそんな襲撃と浅からぬ繋がりのあることではございませんか?」
奥向きの、大きな暖炉を備えた暖かそうな部屋まで通されてからの惣領様のお言葉へ、
「…っ。」
こちらの面々が、思わずのことながら揃って息を飲んでしまう。エントランスでお預けした冬の装備を忘れるほどに ほかほかと温められた部屋。天窓がありはしたが既に陽も落ちた時間帯だったせいか、高い天井はその先が測りかねるほどにもう暗く、その代わり、床や壁際に並べられたランプや暖炉の炎の色が何とも柔らかに暖かい、たいそう居心地のいい空間であったのに。惣領様の意外な一言にあって、それぞれが抱えていた緊迫感をついつい想起し意識してしまい、そして、そんな態度を示したことでその通りだということが相手へ容易に伝わりもしたらしく、
「…これをご覧下さい。」
ここいらの鹿の革だろうか、厚みのあるなめらかな革張りのソファーに座した皆の前。囲炉裏で使う五徳のような鼎かなえに支えられた、水晶だろう大ぶりな珠を、背後の土壁の違い棚から降ろして来た惣領様。大人の拳よりもあろうかという大きな透明の珠へと手をかざし、何かしらの咒を口の中にて唱えると。暖炉の炎の躍る様を少し歪めて映していただけだったその中に、何かが像を結び始めるではないか。
「これは、里の中のあちこちに置かれた他の水晶と波長を揃えることにより、それぞれが“見た”ものの像をこの主珠へと集め、再生することが出来る“影璧”と申します。」
今現在進行中の像を観ようともなると、能力者をもっと必要とするらしいが、珠に残されし“記録”を引き出すだけであるのなら、惣領様お一人の力でも十分に可能な咒だそうで。
“それにしたって大したものだ。”
無機物である鉱物の中でも、酸化変化を寄せない不変の金や神聖なる破邪祓妖の力を持つ銀と、それからこの水晶だけは特別で。加工しやすい軟石でもなく、と言って地中深くで凄まじいまでの圧力を受けて生まれ、鋼さえ跳ね返す堅い輝石とも違う神秘の石で。その深みのある光の凝縮の中には未知の力が眠ると言われ、古来より様々なエネルギーを増幅させたり分散させたり出来るし、人の念さえ飲み込めるとされ、精霊が宿るとまで謳われしもの。とは言うものの、そんな性質を人が侭に出来るようになるまでにはかなりの精神修養が必要でもあり。たとえ残留思念を嗅ぎ取れる者であっても、こうまで…操りし本人以外の目にさえ、格納された“記憶”が見えるよう働きかけられるとは並大抵の力ではなく。さすがは封印の咒の最高峰、次元封咒“合ごう”を自在に操れる一族の、長たる力のこれも一端というものか。
「…あ。」
室内に灯された灯火や暖炉の炎、周囲に集まった格好の彼らの衣裳などが映ってのことか、水晶の中、掻き回されて乱反射する銀色の水面みなものようだった光の渦が、少しずつ何かの像を結び始める。渦の色合いが赤みを帯びていて、恐らくはこの里が襲われし最中の惨状が再生されつつあるのだろう。揺らめく歪みがふわりと大きく躍って…メラメラと風にたなびく火群に変わる。まだ明るいうちであったのか、街路を逃げ惑う人々や火を消すためにと奔走する人々の姿が混乱の中で入り混じるのがくっきりと見え、
「何て惨いことを…。」
セナが思わずのことだろう、小さな声で呟いた。野生の生き物はほとんどが恐れると言われているほどに、炎ほど恐ろしい破壊力を持つ存在はなく。しかも、致死量の水よりもある意味で容易に人為的に放てるものと化しつつある分、そこに誰かの邪気というものをまんま含んでもいるようで。それを思えば尚のこと、どれほどに恐ろしい悪意に満ちた襲撃であったかも知れるというもの。………と、
「これは…。」
像が変わり、別の場面が映し出される。さっきまでは街路が映っていたものが、今度は屋内であるらしく、少々薄暗いが先程の場面と違い、揺らめく炎はなく、人々の動きも少なくて。随分と落ち着いた画像であり、何人かの人々が対峙し合って向かい合っているのが判る。片やには今同座している惣領様もおいでだから、この里の重鎮にあたる人々だろう。そして、それへと対するもう片やは、
「…っ、こいつっ!」
「ああ。」
気が逸ってだろう、つい大きな声を張ってしまった葉柱へ、蛭魔が低い声を返した。マントの下の懐ろには防護用のプレートを下げ、どこか独特な装束に身を包んでいた、忘れもしないあの襲撃者たち。その中でも、リーダー格だったのだろう、やたらと口の立っていた男。ふざけた仮面で目許近くの顔半分を隠しながらも、細く綯った縄のようなドレッドヘアーという特長ある髪形をしていた、屈強で俊敏、飄々としつつも凄腕だった、一味の一人。その男に間違いなかろう人物が、そこにも映し出されており、
「彼らがこの里を襲った一味の首謀者たちなようでした。」
惣領様もそれを断言なさる。そして、
「ただ…彼らの目的は、この里や聖域の破壊や、我ら一族の撃滅ではなかったらしい。」
そんな付けたりの一言には、セナと桜庭が顔を見合わせ、葉柱が息を呑む。里の惨状を目にした彼が、住民たちには死者が出るほどの大事はなかったことへ安堵しつつも、だからこそ…何かしらの不整合を感じた原因がそこにあり、
「というと…。」
低い声で先を促した蛭魔にも、恐らくは心当たりの輪郭が見えていたらしく、
「彼らは、この里に十年ほど前 持ち込まれたあるものを渡せと言って来ました。」
無論のこと、こんな奇襲をかけて来るような輩に渡せるものではないと断ったのだろう。かぶりを振って見せる惣領様へ、そういう応じも織り込み済みだったのか、不貞々々しい笑いで口元を吊り上げた彼らは、一斉に襲い掛かり、こちらもそれぞれに腕には自信の方々を剣術や格闘の技にて打ちのめし、奥向きの、さっき外から見えていた書庫の方へと突き進み、やがてはそこから外へと飛び出していった模様。ということは、あの、書庫や何やがあったらしいと思しき岩屋の破砕状態は、外からのもののみならず、内側からも付けられた跡であったということか。
“何とも超人的な力を持つ者たちであることよ。”
実際に対峙した時に覚えた底知れぬ感覚は、こうまでの力を持ち、その気になれば遺憾なく発揮出来るという確たる下地を持っていた輩だったから感じたものだったのかも知れず。いかに手強い相手と戦わねばならぬかという、あらためての覚悟をも噛みしめることとなってしまった、そんな映像の披露でもあった訳だけれど、
「彼らが求めたものというのは?」
光の公主を攫おうとし、あの白い騎士をも略取した者ども。特に進に関しては、咒を使ってという手の込んだ方法で誘拐しておきながら、なのにその直後、自分たちの側の一員として襲撃班に加えていたことが新たな謎となっており。彼という存在へ求められたものは、セナを手中に入れんとしたこととは微妙に…意味合いというか“方向性”が違ったらしいと忍ばれて。彼のことを、単に“有名な英雄”だからと必要としたのではなく、別な関わりを匂わせるような形跡が多々あるような趣きも見受けられ。それもまた、こちらの陣営を大いに困惑させている大きな謎であるのだが。
――― その進と繋がりがあろう要素のとあるもの。
もしかしたらと蛭魔が睨んだ何かがあることを、惣領様の側でも察しておられたものなのか。小さく顎を引いてから、おもむろに開かれたその口から飛び出したのは、
「グロックスと呼ばれる、大きめの砂時計のことです。」
「…!」
一同がハッとし、予想していたらしい蛭魔でさえ息を引いた。あの、得体の知れない砂時計。葉柱が覚えていた“炎獄の民”の紋章を上下の底板へ記され、進と彼の養い親だったシェイド公の使う、王国建国に関わったほどもの古い家系の家紋がついた革嚢に収められてあった、異様な代物。昨日突然に現れて、王城キングダム随一との誉れも高き“白い騎士”を誘い出す小道具にと使われしものであったらしいが、
――― あれは一体何なのだろうか。
元は魔神と呼ばれし精霊だったという桜庭の、その知識の中にもなかったほどに。気配なく慾もなく、自然世界に隠れ切っていた存在だったこの里を見つけ出したあやつらが、こっそりと侵入してではなく、ド派手な襲撃を仕掛けて奪っていったほどのもの。まま、奪いに来たぞと大っぴらに姿を現した彼らだったのは、隠し場所が分からなかったか、或いは強力な思念で気配を消されていたか、したからなのかも知れないが。そうまでして手中にしたものにしては、その先の扱いがまた妙でもあって。進のおびき出しにと用いられたものの、進へとかけられた咒は、あの砂時計にではなく同包されてあった書簡を入れる封管の中に仕掛けられてあったのだし、時計そのものには何の細工も残留思念も感じられなかった。その後、やはり大胆な侵入でもって取り戻しに来たほどに重要なアイテムらしいのに、それにしては見張りもつけないで放り出すに等しい真似をしてもいる。結果的に今現在は連中の手にはないのだし、彼らにとってどんな意味合いで“重要”なのかがまるきり計れない、謎の物体。それはそれは長い歳月、人目につかぬままにあった“隠れ里”を、わざわざ捜し当てて奪ったほどのもの。
「皆様のお目にもあれが留まったのですね。」
彼らの反応を見て そうと確信した惣領様へ、言葉も出ないらしい蛭魔やセナに成り代わり、桜庭が思うところを口にした。
「十年ほど前に持ち込まれたものだと仰有いましたが、それはもしかして…。」
「はい。シェイド公が、偉大な老剣士様が。」
ということは。進の養い親であるシェイド公もまた、この隠れ里を知っていたということだろうか? 陽白の一族との関わりも深く、光の公主の出現まで聖域を守れと命じられし彼らのことを、一体どんな必要があって知った彼だったというのだろうか?
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*謎という“伏線”は、必ず解答しなくちゃならないものでございまして。
今回は“月の子供”以上のややこしさなので、皆様も大変かと思われますが、
(しかもローペースだし…。)
どか、お心をゆったりと構えて、のんびりとお付き合い下さいますように。 |